梅雨入りしたらしい弱乳び?

2009年06月11日

下長谷洞窟の文字を解読しよう☆



呼鳥門を探索する前なので

話が前後してしまうが

前から気になってた下長谷洞窟にも友人に頼んで寄ってもらった


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 【 伝説 】

海食洞窟のひとつ、甲楽城(かぶらぎ)地区にある下長谷洞窟

延元2年(1337)敦賀金ヶ崎城の落城の時

後醍醐天皇の皇子・恒良(つねよし)親王は気比神宮の神官に連れ出され船で脱出

この洞窟に一時身を隠したと伝えられている。

だが、まもなく北朝方の軍勢にとらえられ、京都へ送られ毒殺という非運な一生を終えた。

洞窟は奥行き約20m、高さ7m、幅5mほどで奥に進むにつれて狭くなっている。

最奥部の岩壁に矢じりで彫った「延元二年……恒良云々」の文字があると言われているが

今はほとんど判読できない。





何が気になるって

最奥部の岩壁に矢じりで彫った「延元二年……恒良云々」の文字があると言われているが

今はほとんど判読できない。


の件がとっても気になる

とっても! とっても! 気になる!





この洞窟の奥にその文字は刻まれている

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説明には今はほとんど判読できないとあったが

もしかしたら

微かにでも文字が彫られた痕跡が見つかるかも・・・。

と入穴に到った

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洞窟入口付近には細かい落石が少々

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奥行き約20mとあったが最深部まで行くとかなりの暗闇

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友人が車に戻って懐中電灯を持ってきてくれたよ

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懐中電灯を受け取って

とりあえず

最深部の岩壁と岩壁の間に挟まってみたよ

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最初、懐中電灯を持ってきてなかったから

目が暗闇に慣れるまで

岩壁に沿って指先でなぞってみた

指先に凹みが確認できた









あった! あったよ!

文字が確認できるよ!

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確かに

元二年・・・

二ノ七?・・・


と判読できる






全体を写そうにも岩壁の隙間は狭く

なかなか全体を写せなかったが

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 ニ   二

 ノ   年

 七   三

 恒   月

 ・   二

 ・   十

 ・   一 



と読み取れる






他にも

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伏せるの ( 伏 ) のような文字と

( 千 ) のような文字も発見

いやいや

( 伏 ) でなく ( 供 ) か?

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も一回、おさらいすると

最奥部の岩壁に矢じりで彫った「延元二年……恒良云々」の文字

俺が判読できたのは

元二年三月二十一・・・千・・・。

ニノ七? 恒・・・・・・。

・・・供?・・・・。

すごい!

今は判読できないなんて嘘じゃないか

ちゃんと読めたぞ!






判読不能と書かれていたのに

ちゃんと読み取れた事に満足して洞窟から出る

付近に伝説の説明パネルを発見し

それを読む

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ふむふむ・・・。

延元元年十月に新田義貞は後醍醐天皇王子恒良を守り

敦賀金ヶ崎城に立てこもる

翌年二年三月にわずか二の兵力で足利の大軍と奮闘するも

城は戦火に落ちる

敗戦の中、恒良は気比神宮の神官に連れられ海上を渡り

この地に落ち延びた

北朝方の軍勢は恒良を追跡

神官は従者を従えたこの大人数では敵に見つかってしまいます

地元の浦人の皆様

どうか恒良様をお願いしますと言い残して去る

優しい浦人の御加護により

恒良はこの下長谷洞窟で匿われた



まもなく北朝方の軍勢にとらえられ

京都へ送られ毒殺という非運な一生を終えた



めでたし、めでたしと。




俺 「 むむ・・・。 」


俺 「 むむむむむむむむむーーー! 」 



胡散臭いなぁー 捏造臭いなぁー

当時十三歳の幼い恒良を残して去った?

地元人に全ての望みを託したということ?

そんで

恒良がこの下長谷洞窟で匿われている時に記念として

1人2人残った従者が矢じりで文字を彫った

もしくは匿っていた浦人が矢じりで彫った

うーん・・・。

洞窟内の最深部は昼間でも暗闇だ

松明で照らしながら彫ったのか?

更にここの岩盤はかなり固い

数十文字彫るには丸一日か・・・ いやいや

矢じりで彫ったんだから

それ以上の時間が必要になるんじゃないだろうか?

敵に見つからないように隠れてるのに

洞窟内で松明など焚くだろうか?




 

ということで

恒良が匿われていた当初に彫られたとは考えにくい

恒良がこの洞窟を離れた後

または

恒良が京に送られ毒殺された後に彫られたと考えると


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元二年三月二十一

新田義貞はわずかニの軍を率いて奮闘するも城は堕ち

ニノ七? 恒良はこの洞窟に落ち延び匿われる

後に北朝方の軍勢にとらえられ京都に送還

毒殺され非業の死を遂げたと伝え聞く

恒良の御霊をここに養する。

 ↓

よくぞ謎を解いた

 ↓

パンパカパーン♪

 ↓

地獄の釜が開く

 ↓

第六天魔王 信長 復活

 ↓

「 猿! 猿はどこじゃ! わしのカタナを持て! 戦じゃあ! 」

 ↓

足軽衆、俺 「 おおおーーー! 」

 ↓

北朝鮮、南朝鮮、中国が大爆発

 ↓

日本に平和が訪れました

めでたし、めでたし。



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at 19:39│ 気になる 

この記事へのコメント

6. Posted by S   2009年06月12日 00:43
黒オフさん
俺は行きますよ
信長様の下で朝鮮ヒトモドキと戦うんだ・・・。
5. Posted by 黒オフ   2009年06月11日 23:17
ええ?!あのわずかな隙間の空洞に侵入ですか?!
逝くのなら梅雨が明けてしばらく経った時期が良いと思いますよ(汗
でも中が気になりますねぇ☆
4. Posted by S   2009年06月11日 22:53
ponさん
俺だってよく分からねえ。
3. Posted by S   2009年06月11日 22:51
黒オフさん
俺は正面の隠された穴も気になっています
次に行ったときに探索してみます。
2. Posted by pon   2009年06月11日 21:55
なんだかよく分かりませんがすごいです{ウサギ}
1. Posted by 黒オフ   2009年06月11日 21:22
おお!詳しく謎解きしましたねぇ!
自分の撮った写真では綺麗に写ってなかったので
よく分からなかったのですが、文字が読めますね!
これでやっとグッスリ眠れます(笑
梅雨入りしたらしい弱乳び?